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阪神大震災と三田理化工業

RACOON NEWS

2022.01.17

阪神大震災と三田理化工業

27年前の1995年1月17日、阪神大震災が発生しました。

弊社の大阪にある本社、三田工場は一部損壊の被害がありました。また、本社と三田工場、兵庫県西脇市にある開発センターなどの拠点間は移動が出来ませんでした。私自身、自宅マンションは水道が止まったので、会社の4階に有った父の大阪宅に家族で移り、数日を過ごすなど、社員、会社ともに被災者の立場でありました。

しかし、神戸阪神地区の被害状況が明らかになってきた震災翌日には、弊社製品であるディスポ哺乳瓶を開発センターで急ぎ生産し、兵庫県立こども病院、神戸中央市民病院へ故会長(当時は社長)が三田工場から開発センターへ車で移動し、六甲山トンネルを越えて、段差や塞がっていないガードを抜けて運びました。

当時、入社4年目で専務であった私は出社出来た社員(歩いて出社してくれました)と、京阪神の各病院のお客様へ個別に電話して状況を確認し、必要な支援物資、修理のご要望をお伺いしました。その後しばらくはお客様の復旧修理は無料にして、復興支援車輛証をもらって各病院へ向かいました。

この後、数年に渡り、京阪神のお客様から復興需要を頂くことになりましたが、いざと言う時の会社の姿勢、経営者の姿勢が大切だと思いました。この経験が東日本大震災の時にも繋がりました。そして現在の防災用哺乳瓶などの洗浄・滅菌済みのステリ製品の開発に生かされています。

代表取締役 千種 康一